論考:医療のグローバルスタンダードに開眼させるEBM教育

EBMについて教える、とは?―道具としてのEBM vs 行動規範としてのEBM

EBMは臨床疫学の基本的立場を簡潔に表現する「標語」として、1992年、Guyattらによって提唱され、提唱者の意図した通り、瞬く間に世界中の医療界に広まった。臨床疫学Clinical Epidemiologyそのものは、1980年代初め、Sackettらが、日々の臨床で患者の問題に対してその都度判断を迫られる臨床医の立場から、疫学的アプローチの重要性を、病理解剖学や病態生理学などの身体の構造と機能に基づくアプローチと並ぶもう一つの理論的支柱として説いたことに始まるが、その主張とは、「臨床の現場で、目の前の患者の問題解決のために、患者アウトカムを重視する立場から、入手可能な最新・最良の臨床研究の成果(エビデンス)を積極的に活用し、患者の価値観に配慮すると共に医療提供側の条件を考慮しつつ、実際的な臨床判断を行う」ことである。
上記のように、EBMは、臨床医が診療現場で患者の問題を解決するために取る一連の行動規範(指針)として定義されるが、これまでのEBM教育では、文献の検索と吟味に注目が集まり、最新の診療情報を手に入れるためのツール(道具)としての側面が強調され過ぎてきた嫌いがある。教えられる側も、文献検索に習熟したい、との考え方から入る傾向があり、講習会でもツールの使い方を指南することに力点が置かれがちであった。近年、文献検索も比較的簡単になり、忙しい臨床医のためのEBM2次資料も普及し始めたが、これらのことが“ツールとしてのEBM”ブームがやや遠のいた感を抱かせる一因かも知れない。
EBM教育の望ましいあり方としては、まず導入部分で、EBMがあくまでも臨床医の診療姿勢(行動様式ないしは行動規範)を問うていること、従って、そのエッセンスは「ステップ1=問題の定式化」と「ステップ4=エビデンスの患者への適用」にあることを学習者に強調する必要があろう。とりわけ、「ステップ4=患者への適用」のあり方を問うに当たっては、患者の「語り」の文脈に付き従って共感的且つ治療的な関係の構築を目指すNBMの立場と共に、患者の価値観や患者が医療に期待していることを、患者アウトカムを示すQOL指標(インディケータ)等の形で実体的に定義し、可能な範囲で定量的に表現する努力も必要であろう。

EBM教育の実践例

卒前教育

佐賀大学医学部で行っているEBM教育の例を高学年から低学年の順に紹介する。これは、EBMが本来“臨床家が臨床の現場で目の前の患者さんの問題を解決するに当たっての診療態度ないしは行動様式”として提唱されてきたので、臨床現場に立ち会う機会も少なく臨床教科になじみの薄い低学年の医学生を対象とすることに躊躇があったため、高学年の教科から順次導入していった経緯を反映している。 しかし、後述するように、低学年の学生たちであっても、彼らに関心を抱かせる工夫さえすれば、EBMのエッセンスを会得させることは十分可能である。

  1. 臨床実習(5年生)

PBL型症例カンファレンス

医学科5年生を対象とする総合診療部実習では2週間毎に約6名の5学生が回ってくる。総合外来での患者面接と診察が実習の中心であるが、担当医による直接の指導/評価に加えて、学生たちによる小グループ討論(PBL型症例カンファレンス)を実施している。このカンファレンスでは、患者を担当した学生が患者役、それ以外の学生が医師役となってその日外来で体験した症例の診察風景を再現しながら、外来診療での情報収集のポイント、鑑別診断の進め方、検査計画や治療計画の立て方についてチューターも加わって討論する。このセッションを通じて学生たちは臨床的な問題解決の流れを追体験すると共に、医学知識の再構築を行い、EBMの「ステップ1=問題の定式化」につながる診断推論や臨床判断の枠組みについての理解を深める。

EBM演習

上記に加え、総合診療部実習では、学生同士の医療面接ロールプレイをビデオ録画・再生して患者代表も交えた討論を行うコミュニケーショントレーニングと共に、学生一人一人が、EBMのステップ1からステップ4までを順序を追って実際に試みるEBM演習を実施している。

第1週目にEBMの基本と演習の手順についてのオリエンテーションを受けた学生は、実習中に体験した症例のなかから関心のある問題を取り上げ、総合診療部医師の指導を受けながら、「ステップ1=問題の定式化」のPICOに始まり、「ステップ4=患者への適用」に至るまでを逐次実践する。EBM関連の書籍・雑誌、文献検索のためのコンピュータ環境はOvid社のMedlineも含めて総合診療部や医学図書館に完備しているのでいつでも利用可能である。第2週目金曜日の朝に各自の実践結果を発表・討論する学生EBMカンファレンスを行い、評価・コメントの機会としている。学生の多くは、文献検索の流れが理解できたこと等について肯定的な感想を述べている。英語が難しかったとの感想も多いが、英語はグローバル時代には必要不可欠なツールであることを毎回強調している。

  1. 臨床入門(4年生)

臨床入門は、年度の最後、毎年1月から2月にかけて集中的に実施される約40コマの教科で、5年生の臨床実習開始前のオリエンテーションと位置づけられている。この中で、病院各診療部門の紹介、医療面接と身体診察等の実技と並んで、EBMについての講義を行っている。高脂血症の薬物療法と心血管リスク等との関連を論じた論文を用いてNNTの概念について考えさせたり、実際の検索画面を示して症例シナリオに沿った文献検索法を紹介したりするほか、演習では、2X2表から感度、特異度、陽性的中率などを計算させ、的中率が有病率に左右されることを理解させている。最近ではEBMと安全管理をも含むプロフェッショナリズム涵養の重要性についても力説するようにしている。

  1. PBL(フェイズV(臨床教科):3〜4年生)

PBLは、症例シナリオを中心に小グループ討論を通じて学生自身に学習課題を発見させ、自己学習によって知識を得させる学習法で、学生の主体性と自発性を信頼する成人教育理論に基づいている。佐賀大学医学部では平成13年秋からこの方式に移行し、従来の講義のコマ数は大幅に減らした。PBLは臨床医の問題解決プロセスをシミュレートしているので、この学習法自体がEBMのプロセスを疑似体験できるEBM基礎教育の機会となっている。実際、学生たちには、知識の源として、標準教科書だけでなく、インターネットからも情報を集めることを強く勧めている。今年度は3週間のPBLオリエンテーション期間を設け、姉妹校のハワイ大学学生によるPBL討論のデモンストレーションに加え、図書館スタッフの協力を得てEBMの基本についての講義とコンピュータ実習室での情報検索演習を行った。

  1. 医療入門U(2年生)

2002年にはEBMの考え方を低学年の学生にも紹介すべく、ほとんど臨床現場を知らない2年生を対象に、医療入門(従来の医学概論に相当)の1コマを利用してコンピュータ実習室でのEBM演習を行った。5〜6人のグループを編成し、自分たちの生活で見えてくる健康関連事象から課題を選ばせ、キーワード入力の方法を含め、文献検索をする練習をさせた。肥満と食事、運動との関連を取り上げたグループが多かったが、中には疲労回復ドリンク剤の効果をタウリン含量との関連で比較調査した研究論文を見つけたグループもあった。グループレポートを見る限り、学生たちはEBMの各ステップの意義を概ね理解しており、学生ならではの視点で文献をうまく探し当てる学生も少なくなかった。また、2005年に開講された医療英語の授業でもEBMの解説とコンピュータを用いた演習を行い、医学文献の検索に親しみを持たせることが出来た。

卒後教育

佐賀大学医学部附属病院では、これまで全教職員を対象に、血液腫瘍学臨床におけるEBM実践例や小規模研修病院でのEBM実践例を講演会形式で紹介してきたが、新医師臨床研修制度下では、研修開始時のオリエンテーション期間(約1週間)中に文献詮索に関するガイダンスを行っている。研修医を6〜7グループに分け、卒後臨床研修センターのコンピュータを用いて約40分のハンズオン・セッションを実施している。このセッションに先立って、次節に述べるEBM普及研究班で制作した名郷直樹医師(うわまち病院)のEBM抄読会に関する講演ビデオを視聴させているが大変好評である。

EBMと臨床医のコア・コンピテンシー

医療環境の激変と共に新しい医師患者関係が求められる中、アメリカのマネージドケアが引き起こしたさまざまな混乱を背景に、患者安全と医療の質改善を推進する立場から医療プロフェッション教育についての議論が深まっている。この議論の中で、専門職教育における「コンピテンシー(行動様式としての実践能力)」概念が重要視されている。医療安全の観点からは、医療職教育において核となるコンピテンシーとして、(1)患者中心の医療、(2)チーム・アプローチ、(3)EBM、C患者安全と医療の質、D情報技術の活用(米国IOM)が取り上げられている。我が国の新医師臨床研修制度においても6項目の「行動目標」が示され、それぞれの目標についての具体的な指導ガイドラインも国立保健医療科学院ホームページ上に提供されている。

EBMと新しいプロフェッショナリズム

ここで、EBM教育に関連して、医療のプロフェッショナリズムについて一言触れておく必要があろう。Sackettらが臨床疫学を提唱しはじめた1970〜80年代には、専門家の権威に対して疑義を呈することからEBMが始まったが、最近では、上記のコンピテンシー概念を軸に新しいプロフェッショナリズムを如何に育ててゆくかが医学教育界のグローバルスタンダードとなっている。その核心部分は、透明性と説明責任を前提とする患者中心の医療であるが、米国では医療の不平等について積極的に発言することも重視されている。

EBM教育の今後の課題

EBMの普及・啓発のためには、NPO組織立ち上げも視野に入れつつ、講習会の開催と教材開発を軸に、学会や医師会、研修病院等への働きかけを続けてゆく必要がある。

"標準化”への流れと患者の個別性

一方、EBMの2次資料、診療マニュアル、診療ガイドライン、クリニカル・パス等の医療標準化の流れの中でこれらがドグマ化することを避けるにはその内容の検証と定期的な改訂作業が必要である。診療ガイドラインの見直しに当たってはEBMのユーザーである臨床家が日々の臨床実践を通じてエビデンスの作り手にもなりうる実践的な臨床研究のあり方が求められるが、今日のITはそのための素地を提供できる段階にあるといえよう。そのためにも臨床医自身が臨床現場で生起するさまざまの疑問を暖め続け、エビデンスを求める習慣を身に付けることが基本となる。
また、患者の個別性に対応して臨床医としての適切な判断を行う能力を育むには、ステップ4=患者への適用について、Narrativeなアプローチと臨床指標に基づく定量的なアプローチの両側面から議論を深める必要があろう。

統計的“真理”にどう向き合うか?

更にEBMをめぐっては、その先に、どうしても避けて通れない臨床現場の不確実性、特に、臨床行為によって生じるアウトカムの不確実性にどう向き合うのかという問いが横たわっている。患者は医師に確かな答えを求め、臨床医も自らの診療を裏付ける確かなエビデンスを求めている。しかし、将来の事象については、臨床研究のエビデンスは統計的な表現をとらざるを得ない。このジレンマがともすればEBMに対する否定的な感情に結びつく。患者の立場からも、臨床医の立場からも、臨床現場の不確実性にどう向き合うかをもう一度原点に帰って問い直す時期が来ているように思われる。